お知らせ:「Grace21」は、2017年12月に「アライブ・キリスト教会」へ名称を変更しました。
お知らせ:「Grace21」は、2017年12月に「アライブ・キリスト教会」へ名称を変更しました。
-コリント人への第二の手紙13章5節-
-ルカによる福音書18章8節-
神はただひとりであると信じているのか…悪霊どもでさえ信じておののいている…愚かな人よ。行いを伴わない信仰は虚しいことを知りたいのか。
ーヤコブの手紙2章19・20節ー
『主よ、主よ』 と言う者が、みな天国に入るのではなく…父の御旨を行う者だけが入る。
ーマタイによる福音書7章21節ー
聖書は、どの時代も本物の信仰は極少だったことを指摘しています。黙示録にある7つの教会中5つが叱られているのですから。
上記のような箇所を上げれば切りがなく、新約聖書の後半は警告で満ちていますが、ここは話を先へと進めましょう。
“信仰”を知ろうとする時、サタンは惑わす者だということを知り、聖書本文の訳でさえ疑う必要があります。口語訳も新改訳もです。
さて、それではやっと本論です。信仰とは復活の事実を信じる事でなく、復活の主を信頼して復活にあずかり、御霊によって歩むこと。
“本物の信仰”とは、神の存在や十字架の事実を信じることではなく、イエス様ご自身を信じ①、その「方」の信仰②が内に住み、御業が伴う信仰です。しかし私達には自由意志がありますから、『イエス様に全てを委ねる信仰①があり、本気で求めるのでなければ』、『約束されたキリストの信仰②(聖霊)は住んでも去っていくことになります』。しかしイエス様を信じ、すべてを委ねれば『自分の信仰からキリストの信仰へ』、『自分の義から神の義へ』、『違った福音から本物の福音へ』と移るのです。
約束が、信じる①人々にイエス・キリストの信仰②によって与えられる為に、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めた。
ーガラテヤ人への手紙3章22節ー
アライブ・キリスト教会
東京都中野区東中野3-8-13 MSR東中野9F
Tel: 080-3054-7793
JR総武線・地下鉄大江戸線「東中野」駅 徒歩1分
東京メトロ東西線線「落合」駅 徒歩4分
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